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袖ヶ浦三十三観音霊場について |
浜北文化協会 郷土史部 |
今から約二百年の昔、中瀬村の清水源八氏が西国三十三ヶ所霊場を巡拝した時に、その地の砂を |
持ち帰り、この近隣で一日の内に巡拝出来る所に、観音像を安置すれば、誰でも気軽に参拝出来ると |
発案し、辛苦の末、多くの人達の賛同や寄付を得て、文政五年(1822)各地のお寺などに三十三観音 |
を祀りました。これを誰が名付けたのか 「袖ヶ浦三十三観音」と呼ばれています。 |
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私達は、「地域の先人たちの心をたどる」ために、今回(平成二十四年)調査をいたしました。 |
調査参考資料として『浜北市史通史上巻』の「袖ヶ浦三十三観音霊場の成立」及び『龍燈』十三号の |
「袖ヶ浦三十三観音霊場」(小杉達氏編)を基本としました。 |
そのほか全日本年金者組合浜北支部「袖ヶ浦三十三観音巡り」を参考にさせていただきました。 |
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基本的には |
@ 札所の配置 旧中瀬村を中心に、東は現在の天竜川東の堤防沿い(磐田市内の旧豊岡村地区) |
に五札所、南は竜南のすぐ近く(東区豊町)に二札所、北と西は浜北区の根堅・平口の範囲内 |
である。(二番札所は例外) |
A 観音の形態 本体は舟形光背の中に浮き彫りで高さ六十a、蓮華座が十五a、台座三十a 土 |
台石が十五a、でこの四点が一組である。(実測では差違あり)なお、台座の正面に「札所番 |
号」が刻まれ、側面に「文政五午年立 世話人 中瀬村 清水源八」反対側に地元名などが刻ま |
れている。(例外あり) |
B 観音像の種類 袖ヶ浦に祀られているのは、千手(せんじゅ)・聖(しょう)・十一面・准胝〈じゅんて |
い〉・如意輪(にょいりん)観音などである。 |
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調査の結果 |
@ 札所のお寺は廃寺となり、現存していないお寺もありますが、寺跡に残されていたり、他に移転 |
されたりしていました。現在までに確認できなかったのは次の五ヶ寺です。 |
○ 一番札所 普賢院(境内を探したが未確認) |
○ 五番札所 良証庵・竜悟庵・良悟庵とも(下小島村)廃寺 不明 |
○ 十九番札所 自光院(上石原村)廃寺 近くの正光寺でも不明 |
○ 二十三番札所 不動寺(境内を探したが未確認) |
○ 二十八番札所 岩水寺(境内を探したが未確認) |
A 今回の発表は、現在安置されている場所及び台座の番号で表しました。 そのため、上記の参考 |
資料とは札所番号など異なるところがあります。 |
○ 学園寺と玖圓寺 十三番と十四番 |
○ 太子堂(下高薗集会所)と報恩庵跡 十五番と十七番 |
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