
| 〇発見された堀と土塁について | ||
| @ | 堀は12世紀末から13世紀初めに掛けて彫られ、13世紀後半には、堀としての | |
| 機能を失っていると思われる。 | ||
| A | 中屋遺跡に方形居館が存在した可能性が高い。(寺があったという考えもある) | |
| もし居館であれば、その規模は国内では最大級である。 | ||
| B | 土塁は現在より、もっと高かった(2mから3mぐらい) | |
| C | 屋敷は、居館の北側にあったかもしれない | |
| 旧街道(現在の国道362号)に出やすい北側に屋敷が存在していた可能性あり | ||
| D | 居館の主は井伊氏一族の赤佐氏かもしれない。 | |
| 鎌倉時代前期頃に活躍した御家人であり、赤佐郷を本拠地にしていたと考えら | ||
| れている。しかし、赤佐氏の居館の所在地を記した文献資料はない。 | ||

| 旧河道の西岸で青色の土と暗い褐色の |
| 土がブロック状に堆積した護岸の盛り土の |
| 中から木製の鞍は出土しました。 |
| 鞍の前輪・後輪を外したところ居木の下から |
| 呪符木簡が出土しました。 |
| 呪符木簡はヤダケと呼ばれる竹の上に5枚 |
| が重なって出土したのです。 |
| 中屋遺跡では、第二東名高速道路の建設に伴い、日本道路公団の委託を受けて、 |
| (財)静岡県埋蔵文化財調査研究所が発掘調査を行っています。 |
| 平成13年5月からの調査で古墳時代終り頃から奈良時代(7世紀後半〜8世紀)の |
| 集落跡や篠場瓦窯(しのんばがよう)が発見され話題になりました。しかし更にその後 |
| の調査で、鎌倉時代の堀(大溝)その規模南辺で東西約156mの方形区画及び |
| 旧河道が発見され、旧河道からは中世の木製の鞍がほぼ完全な形で出土されました。 |
| 以下は同研究所が現地説明会での資料を参考にしたものです。 |

| 木材部 | |
| ・前輪(まえわ) | |
| ・居木(いぎ) | |
| ・後輪(しずわ) | |
| 金属部 | |
| ・覆輪(ふくりん) | |
| 紐部 | |
| ・四緒手(しおで) | |
| 出土した鞍は、前輪・居木・後輪がほぼ完全な形で残っていました。各部材の一部が |
| 出土された事例は国内にも数例ありますが、今回のように鞍の主要構成部材である前輪 |
| ・居木・後輪がほぼ完全な形で出土したのは全国で初めてです。 |
| ・黒漆が全体に塗られている。 |
| ・前輪・後輪の馬膚が厚く、山形頂部の |
| 方が薄い(海部と磯部の存在が明確) |
| ・居木は二枚居木である。 |
| ・前輪に手形がある。 |
| ・居木の裏に花押は見られない。 |
| ・20箇所以上に同じ文様が施されている |
| ・居木に漆が擦れた跡がある。 |
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| 前輪(まえわ) | 後輪(しずわ) |
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| 居木(いき) | 居木(いき) |
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| 上から1枚目 | 上から2枚目 | 上から3枚目 | 上から4枚目 | |||||||
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呪符木簡とは 呪符木簡(じゅふもっかん)とは呪術や祈祷、つまり、まじな いのために使われた木札のことを指します。 5枚の呪符木簡とも保存状態がよく、それぞれに書かれて いる記号や文字ははっきりと読みとることができました。それ ぞれ写真の右側に内容を示してあります。 |
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| 上から5枚目 | ||||||||||

| ma | → | 調査により堀の存在が 確認された箇所 |
| → | 浜北市教育委員会のトレンチ 調査による推定箇所 |
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| → | 浜北市教育委員会の確認調 査トレンチ |
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| → | 旧河道 |

| (注) |
色は分かりやすくするために |
| 後から塗ったもので、実際とは | |
| 多少異なるかもしれません。 |
| 全国初!木製の鞍(くら)! |
| 国内最大級の方形区画? |
| 堀(大溝)の規模 | ||
| / | 今回の調査 で確認され た規模 |
浜北市教育委員 会調査と合わせ の推定規模て |
| 東辺 | 約13m | 約225m |
| 西辺 | 約31m |
約204m |
| 南辺 | 約156m | 約156m |
| 北辺 | - | 約135m |
| 中屋遺跡では、平成13年5月より発掘調査を行っていますが、浜北市教育委員会が、県教育 |
| 委員会から確認調査の依頼を受け、平成14年度にトレンチによる確認調査を行いました。発掘 |
| 調査の結果、鎌倉時代の堀(大溝)及び旧河道が発見されました。堀(大溝)はほぼ正方形に区 |
| 画され、堀(大溝)の内側からは土塁が検出されました。その規模南辺ではなんと東西約156m |
| にも及んでいます。 |

| 堀から発見された遺物 |
| 山茶碗の碗や小皿 (灰色で硬質の無釉の陶器) |
| かわらけ (褐色で軟質の皿型の土器) |
| 土製の鍋 (内耳鍋や伊勢型鍋など褐色で底が薄く平になった鍋) |
| 青磁 (当時、中国から輸入された青い釉薬を掛けた硬質の焼き物) |
| 白磁 ( 〃 釉薬を掛けた白色の硬質の焼き物) |
| 青白磁 ( 〃 白い磁器に青みがかった透明の釉薬) |
| を掛けた硬質の焼き物 |
| 渥美蓮弁文壷 (愛知県渥美半島で焼かれていた焼き物) |
| 常滑産の壷 (愛知県常滑市辺りで焼かれていた焼き物) |
| 瓦 (鎌倉時代のものと推定される) など |
| 以上約1600点 |