大沢に石碑
昭和天皇が、尾野の大沢へご巡察になられた時の
記念碑が、東の谷1番池の南に建っています。
元は国道 362号線沿いにありましたが、第二東名
関連工事の為に平成14年現在の場所に移設されま
した。以下は「赤佐小学校100年特集号」より石碑に
関した記事を抜粋して編集しました。
(当時の写真はお借りしたものです)
昭和21年6月、天皇陛下は静岡県下へおいでに
なりました。6月18日は、食料増産の状況ご視察
で、浜名用水の取り入れ口をご覧になり、さらに、
「興国農村」として大いに増産に励んでいた赤佐村
へおいでになって、尾野で村長町田啓次郎氏の説
明を聞かれ、田植えをご覧になりました。
この時、天皇陛下からご下問を受けた人々は次
のとおりでした。
藤田繁蔵さん
〇今朝は何時から働いているか。
・・・・・6時から仕事にかかりました。
〇晩は何時ごろまで働くか。
・・・・・7時半ごろまでがんばります。
〇よくやるね。
野立所で町田村長から説明を聞かれる天皇陛下
(裏書文) 昭和21年6月18日 午前9時
中沢道路ノ当松上ノ田ノ苗田の側近デ村長御状況ヲ御言上
町田録次郎さん
〇今年の麦の収穫はどうか。
・・・・・1反3俵ぐらいなものです。
〇農家も肥料不足で定めし困っているだろう。堆肥は反当り
何貫ぐらい使用するか。
・・・・・1反2百貫ぐらい使用します。
鈴木フサさんと二橋アサさん
〇今年の苗の成育はどうだね。
・・・・・感激のあまり即答できず、村長が変わってお答え
しました。
野沢角太郎さん
〇よくやるね。お前は何歳か。
・・・・・明治9年の生まれです。
碑文は次のとおりです。
ごちゅうれん かしこ
昭和21年6月18日 天皇陛下此の地に御駐輦 畏くも
けいどう ぎょくほ おりから
畦道深く玉歩を運ばせられ折柄田植中の農民に対し親しく
ねぎら たま のだち
其の労苦を犒ひ給ひ御野立所に於ては村長町田啓次郎より
そうじょう
御奏上申し奉る当村農業の状況を終始御熱心に御聴取遊ば
だかい
され 今国民は食料不足に悩んで居るから之が打解の為一層
たま
努力するようにとの有り難き御言葉を賜はる等国民として一
むじょう
生忘るることの出来ない無上の光栄に浴したのであります
ここ ひ きょそん
茲に本村は此の日の感激を永久に記念する為碑を建てて挙村
せいおん こた
一致御聖恩に応へ奉らん事を期すものであります
昭和26年6月18日 赤 佐 村
上部に「行幸記念碑」と刻まれる石碑
題字「行幸記念碑」は斉藤寿夫県知事の書であり、裏面には |
「村民一般の寄付金により村長青島弘これを建つ |
碑石寄付者金刀比羅神社鳥居前野中丑太郎」 |
と2行に書かれています。 |
その時、天皇が立たれた所に記念碑が建てられています。 |
( 現在は序文のとおり移設されました。) |
右の写真
(裏面記載文)
昭和21年6月18日午前10時
陛下赤佐村御行幸
当大沢隣保共同田植 御見分
高津市平氏前の県道で
左の写真
(裏面記載文)
大沢組共同田植 御見分
東の谷池の南に建てられている石碑