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2.江戸時代 現在資料収集中です。
新データーは随時、追記します。
    
(右端に追記日を記入)
西暦  元号    内 容  内  訳 記 載 の 著 書  記載頁 追記日 
1615 元和 - - 赤狭郷と書く 元和以前は赤狭郷と書く 遠江風土記伝第4巻 329   
1616  〃 2     - 小野村百姓 小浦次左衛門の掟書 尾野の歴史神社ものがたり 117  
1619   5  7   近藤秀用知行地  近藤石見守の支配地と成る。小野村他75村 小野村石高6,791石  引佐町史上 674  
12 3 小野新田諸役免除  磯部源五郎より小野村善六宛に、小野新田3ヵ所の諸役免除の書状。  小野家文書  4  2018.4.29
1622 8 2 16 西の谷池完成 近藤石見守秀用の家臣で磯部源五郎の名が記される。祝いに出席。小野村と
宮口村の共同で造り、水利権は2分の1づつを持つ。
赤佐小学校百年のあゆみ
小野家文書(乙号旧記書類)
1174 2018.4.29
4 20 水神のお宮建立 西之谷池普請に合わせて水神のお宮を建つとある。  小野家文書(乙号旧記書類) 4  2018.4.29
3 - 東小野村太郎左衛門 近藤石見守の家老磯部源五郎より小野村の野中太郎左衛門に書状を与えた。 当書状写しより    
1623 9 12 3 明神領の安堵 西之谷新田2反を明神領として安堵される。 小野家文書  6  2018.4.29
1625 寛永 2 9 - 近藤領 小野村高679石余が旗本近藤石見守秀用に与えられている。  静岡県の地名 1073  
1623   3 6 6 末代諸役免除  小野村の内、大沢西之谷両谷新田の末代諸役免除される。  小野家文書   7  2018.4.29
3 10 13  近藤用義の墓 近藤用義の墓が大宝寺の万霊塔東に建立されており、「寛永三年十月十三
日」
と記されている。
 現地    
1630 7 - - 大沢の地名所在 谷高家文書の寛文10年2月19日(1670年)に「四十年前以前に大沢堤奥に
雲岩寺村林太郎佐衛門・・・」とある。
浜北市史資料編近世Ⅲ  4  
1631 8 - - 井伊谷近藤領 旗本 井伊谷近藤領 小野村高「元禄高帳」701石余
「天保郷帳」955石余
、旧高旧領 1,022石余
日本地名大辞典No22 260   
- - 養徳寺開創  大宝寺の三世、本嶺宗達和尚が本村にあった大宝寺付近に養徳寺を開創  養徳寺寺格昇進御願より  
1632 9 10 22 庚申寺通り絵図  鈴木善六が宮口庚申寺通りの町割りの絵図面を作成した。  小野家文書(乙号旧記書類)  10 2018.4.29
11 2 庚申寺通普請連判状  宮口庚申寺通りの町わりについて相談し、近日普請する為の連判状を書く。 小野家文書(乙号旧記書類)   9 2018.4.29
1633 10 1 13 西之谷新田諸役免除  役人の本田治次左衛門と稲垣八郎右衛門から小野村庄屋に免除する。  小野家文書  9 2018.4.29
1634 11 - - 尾野村石高 近藤久郎用将知行所(井伊谷) 701石6斗8升 浜北市史通史上巻 802  
9 22 村境に関した返答書  小野村と宮口村、新原村との境界に関する小野村二郎七らが返答書を書く。 小野家文書(乙号旧記書類)    11 2018.4.29
1635 12 11 15 鈴木善六代官となる 鈴木善六は、代官として年貢収納や警察にあたった。 引佐町史上 703  
1636 13 2 - 天竜川の人足 天竜川の堤防工事に、尾野村で人足約14人づつ、日数30日が賦課される。 尾野の歴史神社ものがたり 123  
- - 大宝寺訴えられる 大宝寺、竜泉寺の訴えにより可睡斎にて対決以降、柴本村は竜泉寺の檀家となる 引佐町資料第7集中井家日記 12  
1638 15  1  13 大沢の井掘  大沢の井掘、堀かえ 引佐町資料第7集中井家日記  16  
1639 16     尾野村甚兵衛入牢 観音山に江戸の商人を引き込んで悪戯を働き入牢を申し付けられる。 引佐町史上 784  
1640  17  8  9 春日の局(つぼね) 江戸より春日の局が鳳来寺に来た折、小野・宮口などの村人が道普請等に出る 引佐町資料第7集中井家日記 22  
  11  19 代官辞任  鈴木善六、代官を辞任する。 引佐町史上 703  
  17 11 27 八面神社御神札 金刀比羅神社寄せ宮「八面神社」に当日記の御神札あり「奉再興八面荒
神社」 願主 善六 大工 伝三良 (裏)長畠壱門、野中想百姓等
尾野の歴史神社ものがたり  68  
1641 18     葦茅の提供 奥山広寺再建の為、尾野村へ葺茅約3,500把提供を命じられる。この頃凶作続く 引佐町史上  778  
1642 19 4 15 大宝寺の江湖会  大宝寺の江湖会に領主近藤彦九郎、尾野・宮口より薪を50駄寄進 引佐町資料第7集中井家日記  28  
1643 20 3 12 山道新田諸免除役  小沢助右衛門から善六郎宛に尾野村山道新田の永代諸役免除される。  小野家文書  10 2018.4.29
  大沢水神領田畑付置  田畑二反を従来通りに付置から、神別貞祭建立するようにとの文書あり。 小野家文書  11 2018.4.29
  大沢水神領  尾野村大澤水神社の峠まで社中に付置く。  小野家文書  12 2018.4.29
  7 19 大沢の百姓 代官尾野村善六と大沢の百姓と年貢について裁きあり  引佐町資料第7集中井家日記  32   
1644 21 1 8 庄三郎入牢 大沢新田の百姓の庄三郎、無断で立ち退き1ヶ月間入牢 引佐町資料第7集中井家日記  35   
3 21 尾野村の庄屋  尾野村東西両組の検地。庄屋2人決まる 西小野は善六方の庄屋は平兵衛。
 又、東小野は小百姓方の五作孫八
引佐町資料第7集中井家日記  36   
1646 正保 3 8 若宮八幡宮の御神札 金刀比羅神社寄せ宮「若宮八幡宮」に当日記の御神札あり 「奉造
立・・・」東海道遠州豊田郡赤蛇郷東小野村大施主次郎兵衛?
兵衛 作兵衛 勝蔵 長五郎 作十郎
尾野の歴史神社ものがたり  59   
    3 10 3 善六に屋敷 善六に領主より屋敷与えられ、前々通り庄屋を仰せつけられる  引佐町資料第7集中井家日記   40   
1647   4  -  - 尺地神社御神札  金刀比羅神社寄せ宮「尺地神社」に当日記の御神札あり 「奉建立・・・」
遠州豊田地郡 大本願 鈴木善六 赤蛇郷西尾野村高根新田内
尾野の歴史神社ものがたり  53   
1648 慶安 3 12 尾野村郷蔵へ盗人  尾野村郷蔵へ盗人入り捕らえられて、牢内にて死亡。家財は没収される。 引佐町資料第7集中井家日記   43   
1650    3  12 17 大宝寺打出しの件  御朱印地の他の打出しについて、近藤彦九郎のご家老へ訴訟する。 小野家文書(乙号旧記書類)  12 2018.4.29
  24 大宝寺打出しの件  御朱印地の他の打出しについて、再度訴える。  小野家文書(乙号旧記書類)  13  2018.4.29
1655 明暦 7 26 阿多古山手米出入 阿多古山の年貢について、東小野村と神宮寺村の百姓の申分の覚書を書く。  小野家文書(乙号旧記書類)   14  2018.4.29
1658 明暦  4 3 14 尾野村絵図  同日付の大宝寺移転前の尾野村の絵図が存在。鈴木善六らが書く
絵図には、現在の大宝寺の場所に「祇園寺」が記されている。
金刀比羅神社沿革誌  22   
1659 万治  2  9 八面神社御神札  金刀比羅神社寄せ宮「八面神社」に当日記の御神札あり八面荒神社とある
遠州豊田郡尾野村庄屋 次右衛門、庄屋 徳兵衛
尾野の歴史神社ものがたり  69   
1660   3  7  27 寺領没収 大宝寺住持良栄が雲林寺へ転寺した為、信濃守が寄付した大沢新田の
15石4斗5升余の寺領を没収される
大宝寺落慶記念誌
引佐町資料第7集中井家日記  

55
 
 
1661  4 3 9 尾野村善六死す  死後の屋敷田地は兄の二郎七、弟の六之丞と百右衛門に分ける 引佐町資料第7集中井家日記   59   
   24 善六郎跡式の事  善六郎の遺産について、家老代官立会のもとで分け直した文書。 小野家文書(乙号旧記書類)  15  2018.4.29
  4 2 善六の遺産相続 財産分与について不明な点あり、分け直す  引佐町資料第7集中井家日記   59   
1662 寛文  2 10 22 善六郎が代官  尾野村の善六郎が代官を命ぜられる  引佐町資料第7集中井家日記   62   
1663  3 -  尺地神社御神札 金刀比羅神社寄せ宮「尺地神社」に当日記の御神札あり「奉再興・・・」
大工 尾野村 小平次・・・ 遠州豊田郡小尾野村願主 鈴木善六郎
高根善左衛門 五郎右衛門 助兵衛 新左衛門 ?平次 
尾野の歴史神社ものがたり  53  
  3 10 大沢新田のお詫び  雲岩寺村が借りている大沢田地について善六へ詫び状を出す。  小野家文書  13 2018.4.29
        27 高根新田善右衛門 長男の善蔵、次男の久右衛門、三男の伝右衛門、その母のふち とある  引佐町資料第7集中井家日記   63  
1664   8  - 又十郎の家壊される  尾野村の人が内出来坊山の根に建てた家が雲岩寺村、安泰寺村、岩水寺村の
三ヶ村の百姓約150~160人に壊されたが再建させた
引佐町資料第7集中井家日記   65  
4 2 21 又十郎再度壊される 元の所に家を作り直したが、また三ヶ村の百姓大人数に壊される 引佐町資料第7集中井家日記   65  
        9 20 家壊され訴える  壊された小野村の次右衛門らが奉行所へ訴える。 小野家文書(乙号旧記書類) 16 2018.4.29
1667 7 9 若宮八幡宮の御神札  金刀比羅神社寄せ宮「若宮八幡宮」に当日記の御神札あり「奉建立・・・」
遠州豊田郡赤蛇庄小野村神主鈴木次郎兵衛願?
(裏)左右衛門 久蔵 次郎太夫 作兵衛 熊蔵 加平次 桂太郎
尾野の歴史神社ものがたり   59  
1670 10 2 19 雲岩寺村と争う 当年から延宝9年(1,681年)まで雲岩寺村の西之草山の使用をめぐり
同村と争った。この文書では“小野村”と書かれている(谷高家文書)
浜北市史通史上巻
浜北市史資料編近世Ⅲ
 
839
4, 17
 
 
1671 11 12  2 小野村 次郎左衛門 宮口村の争いに小野村の次郎左衛門と次右衛門が仲裁 引佐町資料第7集中井家日記  88  
1672 12 3  21 江戸へ上訴
上訴の小野村人
 
尾野村・宮口村、知行の十分の一の種借を江戸へ上訴し許可される
 小野村の次右衛門、次郎兵衛、三郎右衛門、善左衛門,七郎右衛門、弥平次
引佐町資料第7集中井家日記  89  
30 小野村の住人 鈴木次郎左衛門という名の人物存在 浜北市史通史上巻別表2     
1675 延宝 3 12 25 庄屋ら入牢  凶作。年貢の納入悪く代表として尾野村・宮口村の庄屋・組頭6人が
12月25日から入牢。翌年2月8日、年貢がある程度納まった為出牢
引佐町資料第7集中井家日記  100  
 4 8 高根山鰐口勧進帳  高根山観音の鰐口を造る為、鈴木治郎左衛門らが寄付集めをした。 小野家文書(乙号旧記書類)  19  2018.4.29
1676 12 28 尺地神社御神札 願主 小沢助右衛門政徳 遠州豊田郡小尾野村鈴木善六郎 高根善左衛門
鈴木次郎左衛門 同善兵衛 市郎兵衛 甚左衛門 市衛門 庄衛門 助兵衛

伍郎作 伝右衛門 大工 藤原 
尾野の歴史神社ものがたり  53   
1677 5   大宝寺移転  東尾野村(現在の本村)から現在地へ移転。 金刀比羅神社沿革誌 1  
- -  金刀比羅神社の始め 大宝寺が移転した時に、大宝寺の守護神として金毘羅大権現を祀った。 金刀比羅神社沿革誌  1  
1678 6 3   寺領戻る 裏山のみ寺領として再び認められる、高根山東のはづれ下の田地の畔に寺屋敷 引佐町資料第7集中井家日記   106   
3   21 大宝寺絵図 当日付の「高根観音と大宝寺との境界を明らかしたる古地図」あり。 大宝寺古文書   2018.4.29
-  絵図に小野村 青山御領分絵図には小野村と見える 日本地名大辞典No22 260  
    小野村庄屋次右衛門  庄屋を退役し、高根山下の新田へ妻子ともに引越す  引佐町史上  814  
11 15 八面神社御神札 金刀比羅神社寄せ宮「八面神社」に当日記の御神札あり 八面荒神社とある
小野村 青嶋安右衛門 (裏)鈴木善六郎、同姓次郎左衛門、青嶋?左右門
青嶋・・・、同五太夫、同庄助、同市右門、町田六衛門、?兵衛、善左衛門・・・ 
尾野の歴史神社ものがたり  69   
 1681 天和 11   酒造りの覚書  当年(天和元年)から来年の秋までの酒造りに関する覚書を作る。  小野家文書(乙号旧記書類)   20 2018.4.29
1684 貞享 12   若宮八幡宮の御神札 金刀比羅神社寄せ宮「若宮八幡宮」に当日記の御神札あり「奉再興・・・」
 神主鈴木次郎兵衛 (裏)遠州豊田郡赤蛇庄小野村 左右衛門 久蔵 
次郎太夫 熊蔵 加平次 ?太郎
尾野の歴史神社ものがたり  59   
1689 元禄 2 大釣鐘を鋳造  大宝寺では大釣鐘を大4世の銘文にて鋳造する。(後に太平洋戦争で供出)
銘文には、「遠江豊田郡赤佐郷小野村大澤山大寶寺は・・・元、大澤の麓に
在り、故に山を號して大澤と云ふ。然る後院を村裡に移す」とある
大宝寺落慶記念誌
遠江国風土記伝第7巻
 

372
 
 
1690 3  10 23 大宝寺の宗門手形  小野村の人は、禅宗の大宝寺や清源寺の檀家であり宗門手形を書く。  小野家文書  15  2018.4.29
1693 6  7 26 24孝絵馬を寄進  庚申寺へ雨乞いの為、尾野村総郷の者により24孝絵馬を奉納 浜北市の年中行事・文化財  84   
1694 7 8 9 出来坊山の覚書  小野村と雲岩寺村で論争の合った出来坊山などについての覚えを書く。 小野家文書(乙号旧記書類)  21 2018.4.29
1697   10 9 13 高根観音造立  社僧の大蔵院と大教院親子が、造立にあたり役目に勤めるとある。 小野家文書   16 2018.4.29
 11 12 出来坊山境界線引き  論争の多い出来坊山の絵図に、近藤家一門が絵図に境界の墨を引く。  小野家文書(乙号旧記書類)   22 2018.4.29
1698  11 4 20 西之谷堤工事  小野村鈴木善六が山東村のいしやに、金8両2分を支払う。  小野家文書(乙号旧記書類)  5 2018.4.29
 11 - 赤蛇荘園 中瀬、普賢院前の石塔に遠州豊田郡赤蛇荘園領之内西中瀬村・・・」とある 浜北市史通史上巻  1118   
1699 12 8 21 善六高野山で供養  鈴木善六が亡子息の為の高野山金剛峯寺清涼院の祠堂月牌証文あり。  小野家文書  17 2018.4.29
1707 宝永 4  4 7 尾野村の元禄高  元禄高帳 701石6斗5升(内 御朱印地 5石8斗3升 大宝寺領) (御除地1石
 清源寺領) (同 1石 養徳寺領) (同 1石 宝泉寺領)
遠江国郡郷村高記 元禄高帳 59  
 11 日光御門跡の前触れ  宝永6年に通る為、助郷の基準である石高を記載。小野村は701石とある。  小野家文書   22 2018.4.29
豊田郡小野村出役 本坂通気賀宿(現細江町)の助郷村となり出役。当時の村高701石。 浜北市史通史上巻   915   
1718 享保 3 10 10 金山大明神の御神札  金刀比羅神社寄せ宮。「奉建立 金山権現一宇」神主 野中太郎左衛門尉
東尾野村 長畠村 惣立産子
尾野の歴史神社ものがたり  87   
1721 6 3 26 尾野村の領域 尾野村東西拾三町 宮口境より柴本境まで 同南北壱里四丁 銭取より大沢境 引佐町資料第2集  109  
1726 11 12 日損激しく嘆願書  数年間は日損(日照り)が激しく、尾野村惣百姓が役所へ嘆願書を出す。  小野家文書(乙号旧記書類)  24 2018.4.29
1731 16 2 尺地神社御神札 遠州豊田郡尾野村高根 神主町田善左右衛門 大工 柴本村袴田八三郎秡 尾野の歴史神社ものがたり  54  
1733 18 2 21 高根神社に社守  高根観音社僧が常時麓の社守宅に住み、境内や山道の掃除や札売りなどを
していたとあり、現在入口の東側空地(西ノ谷集会場付近)はその跡という。
金刀比羅神社沿革誌  23  
  社守の詫び状  社守(社僧)大蔵院の不届きがあったとお詫び状を高根神社役員へ出す。  小野家文書(乙号旧記書類)  25 2018.4.29
1766 明和 3 11 八面神社御神札  金刀比羅神社寄せ宮「八面神社」に当日記の御神札あり 八面荒神社とある
(裏)願主 青嶋甚内、同粂助、同平蔵、同安右衛門、同五右衛門、
同伊八、同清治郎
尾野の歴史神社ものがたり  70  
1768 5 9 19 若宮八幡宮の御神札 金刀比羅神社寄せ宮「若宮八幡宮」に当日記の御神札あり「奉再興・・・」
(裏)遠州豊田郡赤蛇庄東小野村神主鈴木次郎兵衛 左右衛門 久蔵
扶左衛門 次郎太夫 作兵衛 熊蔵 賀平次 精太郎
尾野の歴史神社ものがたり   59  
1769 6 11 15 尺地神社御神札 当国豊田郡西尾野高根内 神主町田善蔵  尾野の歴史神社ものがたり  54   
1771 8 11 3 阿多古山の利用  この頃、柴本村、岩水村、安泰寺村、と尾野村の五ヶ村は阿多古組合
十八ヶ村に山手米を差出して阿多古山を入会利用していた。
この時の尾野村の庄屋“七兵衛”・組頭“権三郎”・百姓代“伊右衛門” 
 
浜北市史資料編近世Ⅲ
(橋本家文書)
 
81  
1774 安永 3 遠江33観音巡礼像 東尾野 養徳寺 「奉納遠江三十三順札」22番目 記念石仏がある。 浜北市史通史上巻  1310   
1777 6 11 9 大宝寺全焼 貴重な資料は火災で焼失。山門の東南に大宝寺の守護神として、大黒天を
祭り金毘羅大権現とか、金毘羅神王と称していた金毘羅神社の始まりで
あった建造物も類焼した。
赤佐小学校百年のあゆみ
尾野の歴史神社ものがたり
金刀比羅神社沿革誌
107
24
1
 
 
1781 天明 9  - 八雲神社御神札  金刀比羅神社寄せ宮「八雲神社」に当日記の御神札あり 「奉建立・・・」  尾野の歴史神社ものがたり  72  
1784 4 11 18 打ち壊し(百姓一揆) 世に言う天明の大飢饉といわれる天明2、3、4年は当地でも凶作が続き
周辺村々の農民による打毀が起こり、当村の綿実問屋仲買商人小野村
八左衛門宅の家宅・土蔵が打毀され、また酒屋は飲食いされ荒らされた
 
浜北市史資料編近世Ⅳ
浜北市史通史上巻
引佐町史上
 
108
976
998
 
1786 6 10 16 打ち壊しに参加 諸国凶作で現在の浜北周辺村々の者が笠井村の庄屋等で打ちこわしをし、
参加した村々が寺社奉行所より過料金150貫文を命じられた。 
浜北市史通史上巻
引佐町史上
 
979
1000
 
 
      12    大宝寺再建 旧本堂の棟瓦に『天明六年十二月』の銘があり、更に『最(再?)建』の刻印
もまた、旧本堂の鬼瓦には『寛政六年(1794年)十二月八日』の年号刻印。
再建後、門前東に本寺の守護神として金毘羅大権現を祭祀する。
「古文書を判読して」より
大宝寺落慶記念誌
   
1787 7  - 尾野村庄屋  尾野村庄屋(御馬ヶ池村兼務)平兵衛、百姓惣代五郎とあり 尾野の歴史神社ものがたり  128  
1791 寛政 3   遠江国風土記伝より
 赤狭郷?
【原文】豊田郡赤狭郷、倭名鈔に阿加佐、昔庄園あり、元和以前は赤狭郷と
書く、寛文以降誤って 赤虵庄・赤虵郷という、古は麁玉郡の内なり
遠江風土記伝第7巻 329  
        〃
 尾野村のお寺
 
【原文】「大寶寺」朱符の寺田の高五石八斗三升、末寺六宇、曹洞宗、可睡
斎の末、可睡記に日ふ、大寶寺は赤蛇村にありと。「清玄寺」「養徳寺」
「寶泉寺」各々除地の高一石、各々曹洞宗、大寶寺の末、平僧住す。 
遠江風土記伝第7巻  330  
    〃
 高根山について
【原文】社一所、観音堂一宇、除地あり、祭日は二月初午日、按ずるに式内
麁玉郡の多賀神社なり、或いは曰ふ、多賀村屋敷より北山に移れ・・
遠江風土記伝第7巻   330  
   〃 小野村の池 【原文】「大澤池」、「西谷池」 夏は水を引ひて田苗に灌ぐ。  遠江風土記伝第7巻    330   
  -    〃
 多賀村屋敷について
 
【原文】南北六十歩、東西三十歩、築垣存す、中に二祠あり、篁の稲荷及び
山の神、村民篁屋敷と言うなり、小野と號する所以は、古老曰ふ、昔 小野
篁 の領地、住居する所を言って多賀村屋敷と曰ふと、今畑と為る
遠江風土記伝第7巻    331   
  -   〃
長者屋敷について
 
【原文】篁屋敷の西南、今長畑と云ふ、長の孫藤原朝臣定次住す、天正年間
光明の御陣の時、徳川君長の家に入御す、長者馬を奉じて浜松城に供奉す、
其の御鞍具今僅かに存す。 
遠江風土記伝第7巻    331   
  〃 小野村の祭神は  【原文】村中の齋神は宮口村六所大神なり  遠江風土記伝第7巻    331   
   - 〃 多賀神社について  【原文】麁玉郡、今豊田郡赤佐郷小野村高根山観音に在り、一小社を併せ建つ  遠江風土記伝第7巻    379   
1794 6 8 4 西の谷池堤防切れる  洪水、山崩、大満水宮口尾野方面両(留)堤切れ、百姓家一軒男女流死5~6人 引佐町の記録    
12 8 大宝寺再建 旧本堂鬼瓦に年号刻印。本堂はこの時から平成7年まで使われた。 大宝寺落慶記念誌     
1795 7  5 -  西尾野村、東尾野村  小前百姓の不満を抑止する依頼文書に“西尾野村、東小野村”が連記されている 引佐町史上巻  1067  
1797 9 高根神社手洗い造る 高根神社本殿の石段の東側付近「御賽前 寛政九年」と銘記 現存の手洗いより -  
    小野 宝泉寺

小野高根
 
宮口の興覚寺建立御見舞控に東小野“平兵衛”・西小野“権次郎、藤蔵、
七兵衛、益右衛門、八左衛門”
小野 宝泉寺 小野高根“次三郎”が寄付をしている 
浜北市史資料編近世Ⅲ
(鈴木家文書)
 
376  
1804 文化    12 11 宝物等の預手形差出  近藤用常より、慶長8年近藤季用に差出した時の宝物預り手形を差出す。  小野家文書(族籍復帰願)  31 2018.4.29
1814 11 - ぬえ退治の絵馬寄進  宮口の庚申寺へ尾野の伊藤八左衛門ほか34名で絵馬を寄進する 伎部第7号 庚申信仰と宮口  77  
1820 文政 3 3 - 大門街道の異変  大門街道(尾野地内)道筋に火災・病・病死など様々な災いが起きた。  小野家文書(族籍復帰願)   159 2018.4.29
1822 5 -  - 袖ヶ浦三十三霊場 ・二十六番 西尾野村 大宝寺 世話人 油屋藤蔵・二十七番 東尾野村
世話人 平左衛門とある 
浜北市史通史上巻  1315  
1827   10 5 - 大沢水神領の事  大沢水神の祭礼修復料を延米5斗と書かれている。  小野家文書  29 2018.4.29
1832 天保 3  1 - こんぴらさま 鈴木家文書 農作物・金銭の覚に“こんぴら様”とある (宮口か?) 浜北市史資料編近世Ⅲ  384  
1835    6 4   -  大宝寺瓦葺き替え  大宝寺の中段の瓦より「天保六年四月」の刻印  「古文書を判読して」より    
1836 7 9 - 大宝寺に山門 山門を他所より移築する 大宝寺落慶記念誌     
1840 11 7 -  念仏禁止命令 大念仏、小念仏、初凧の停止命令の公布  浜松市史     
1841 12 6  - 西の谷池の水分配  宮口村と西の谷池などの灌漑用水の分配した順番が記録されている  浜北市史資料編近世Ⅲ  439  
1842 13 3   金刀比羅神社再建築  大宝寺の焼失の後、現在の境内に社殿や神門などを造営したが、本殿の再
建築 の上棟式を行う。これが現在の祓殿社。以降、尾野村の氏神となる
金刀比羅神社沿革誌 2   
1843 14 7 尾野村石高  豊田郡尾野村の石高701石6斗5升(橋本家文書)  浜北市史資料編近世Ⅲ  112  
9 尺地神社御神札  当国豊田郡西尾野高根組中組頭 町田伝左右門 同利右門 同伝右門
同金次郎 同伝造 同万造 同善造 同友吉 同九右門 同升五郎  
尾野の歴史神社ものがたり  54   
1852 嘉永 5 3  - 拝殿建築  現在の祓殿の前付近にあって明治9年西に移動し、増築して社務所にして
いたが、平成23年6月に建替えの為、取り壊す。
社務所棟札  -
6  - 多度神社御神札  金刀比羅神社寄せ宮「多度神社」に当日記の御神札あり 尾野の歴史神社ものがたり   67  
1854 7  -  - 浜松宿の増助郷 小野村など43ヶ村が浜松宿の増助郷となる  浜北市史通史上巻 1073   
11 4 安政の大地震 尾野金毘羅山の山に登り難を避けんとする者千余人 浜北市史通史上巻  1077   
1852 安政  2  7 8 残りの宝物差出す  高根山にあった御馬具・岩見守様御書九通を近藤遠江守様に差出す。  小野家文書(族籍復帰願)   34 2018.4.29
1856 3 3  - お神楽始まる 金刀比羅神社で初めてお神楽が奏進される。(21日間奉納された)  静岡県の地名  1073   
10 御神門建築 金刀比羅神社の南上り口に神門を建築(現在は無い) 金刀比羅神社沿革誌 3   
1857 4 3 9 金刀比羅神社分離 村人達の強い要望で大宝寺の傘下から離れ、村人達の氏神として独立。 金刀比羅神社沿革誌  6   
9 神楽殿の建築 神楽殿の落成には、領主の名代や、市川豊後守、大宝寺方丈などが参列
 お神楽もその後絶えることなく現在まで奉納されている
金刀比羅神社沿革誌  5  
 - 尾野村石高  江戸時代末期の頃の尾野村の石高1,009石または1,022石  尾野の歴史神社ものがたり  130   
1858  5  5 23 鈴木善六郎が神職  鈴木播磨(善六郎)に神道裁許状が神祇管領長上卜部朝臣から渡された。  小野家文書  36 2018.4.29
1859 6  -  -   紛争起きる 竜禅寺村(浜松)の麹屋16人と当村ほか宮口村などの在郷商人との間で
麹専売権をめぐって紛争が起きた
浜松市史2
日本地名大辞典No22
 
248
260
 
8 西尾野村の人々寄付  宮口の興覚寺半鐘寄付物受納帳に西小野村の竹内逸蔵他11名が記載 浜北市史資料編近世Ⅲ  523   
1860   7 2 23 地之神社再建  小野篁屋敷神社棟札調に記載。  小野家文書  54 2018.4.29
1861 文久 11 10 神社再建立福寿講  金毘羅本社再建立の為の福寿講が開かれ、金五十両が奉納された 浜北市史資料編近世Ⅲ   531  
1863 3 1 金刀比羅神社建築 本殿(現在の拝殿)の建築には数年の歳月がかかった。  金刀比羅神社沿革誌  6  
請留山をめぐり山論 阿多古18ヶ村地先の請留山をめぐって美薗村と山論がおこる 浜北市史通史上巻 1081   
1864 元治 3 多賀神社建築  金刀比羅神社の本殿(現在の拝殿)の西側に建築  金刀比羅神社沿革誌  
慶応 6 14 春埜神社御神札 金刀比羅神社寄せ宮「春埜神社」に当日記の「奉再建・・・」御神札あり 尾野の歴史神社ものがたり  52  
11 - 丑年の年貢明細  この年の年貢米は、205石1升5合で各明細もある。  小野家文書  40 2018.4.29
1865 袋井宿の助郷 西尾野村、袋井宿の当分助郷を命じられる 尾野の歴史神社ものがたり  130   
1866 2 8 年貢の公平を訴える  町田儀平(町田啓次郎氏の先々代)ら井伊谷近藤家へ減租と年貢の
公平を訴える
尾野の歴史神社ものがたり  130   
12 10 御調前の約束事  年貢不公平の御調に代官が来るので、事前に打合せ、議定書を作る。 小野家文書  42 2018.4.29
- 寅年の年貢明細  この年の年貢米は、208石4斗3升5合で各明細もある。  小野家文書   43 2018.4.29
1867 3 1 28 江戸へ訴状 町田儀平ら江戸へ赴き領主に直接窮状を訴える。同行者・・鈴木文四郎、
伊藤七兵衛、町田久蔵。留守の間、小前惣代野中平蔵入牢
尾野の歴史神社ものがたり   130   
宝泉寺火災  宝泉寺、火災にて焼失 尾野の歴史神社ものがたり  131   
3 9 北野天満宮御神札 金刀比羅神社寄せ宮「北野天満宮」に当日記の御神札あり  尾野の歴史神社ものがたり   50   
1868 4 - 東の谷2番池修理 この年領主に修理助成を請願した。  赤佐小学校百年のあゆみ 118  
 2 - 東の谷奥溜普請  天保3年に普請を請願していたが当年実施したい。  小野家文書   46 2018.4.29
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