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4.大正時代 現在資料収集中です。
新データーは随時、追記します。
    
(右端に追記日を記入)
西暦    内 容  内  訳 記 載 の 著 書  記載頁 追記日 
1912 9 2 尾野分教場新築 養徳寺内の分教場から移転(現在の尾野公民館のある位置) 浜名郡赤佐村誌 六章  
- - 赤佐村の人口 赤佐村 3,296人(男 1,609人 女 1,687人)  浜北市史通史下巻  674  
- - 木の葉神社祭る  金刀比羅神社本殿の西北に新田の野中金作氏が木之葉天狗を祭る 尾野の歴史神社ものがたり 81   
1913 2 1 - 尾野区消防 当時尾野区に消防器具一組あり、80人の消防人
15歳より40歳までの者を以って消防組に加入すべき規定があった
浜名郡赤佐村誌  六章   
- 機織工場 尾野に一箇所あり 浜名郡赤佐村誌 七章  
- 松茸 山林産物として松茸あり、年産千円以上に及ぶ  浜名郡赤佐村誌  七章   
- 大念仏盛ん  念仏が盛んで、特に若衆の大念仏が7月の盆に行われた 浜名郡赤佐村誌 七章   
- 役場と駐在所  役場は於呂にあり、一町(109m)程の所に赤佐村駐在所あり 浜名郡赤佐村誌第 七章   
11 22 清玄寺土地引渡し  廃跡地7畝8歩が清玄寺に下げ戻され、引き渡された。  小野家文書(族籍復帰願)  251 2018.4.29
12 - 電話交換業務開始  尾野は電信と同じ宮口郵便局が兼務した 浜北市史通史下巻  718   
1914 3 - - 戸数と村税  赤佐村戸数 600戸 戸数割附加税1戸当3円55銭  浜北市史通史下巻  607   
- 草競馬開かれる  金刀比羅神社神社の裏山にて草競馬を開催す。 松井吉良氏資料   22.4.14 
1916 5 - - 赤佐尋常高等小学校  尋常科6ヵ年へさらに高等科が設置されたので、また校名が変わった  赤佐小学校百年の歩み  32   
1918 7  3 - 赤佐村村長 村長は河合栄太郎氏(~大正11年12月-日まで) 浜北市史通史下巻  577   
8 - 赤佐村の米廉売 廉売値段は1升 17銭~25銭 浜北市史通史下巻 626  
1919 8 10 - 赤佐村処女会発足 小学校卒業から結婚までの間の「良妻賢母」教育が柱 浜北市史通史下巻 948   
1920 9 1 15 赤佐農業補習学校  農業(実業)に従事している人に義務教育を補修  赤佐小学校百年の歩み  35   
- - 赤佐村の人口  赤佐村 3,592人(男 1,745人 女 1,847人) 戸数 687   静岡県史資料編No22 100   
9 9 1 尾野信用組合 この日より尾野若連の金銭出納長に取引がみられる 尾野若連共有金帳簿     
1921 10 - - 電灯つく  尾野 電灯取付者 134戸 (13戸除く) 1,300円(尾野区全額負担)  電灯整理簿     
1923 12 2 20 自動車取締規約改正 自動車の車体や運転方法・鑑札などを記載。  尾野自治会資料 S-21  2019.8.30
10 - 神楽殿屋根を銅ぶき  金刀比羅神社の神楽殿は瓦ぶきであったが、銅ぶきに改めた  金刀比羅神社沿革誌  
- - 当時の一般的娯楽  相撲・神楽・大弓・撃剣・芝居・浪花節・義太夫・花火・蓄音機・活動写真 浜北市史通史下巻 784   
2 - 赤佐村村長 村長は青島定太郎氏(~昭和6年3月15日まで) 浜北市史通史下巻  646   
1924 13 - - 気賀二俣街道  現在の国道362号線で、この時点では県道(明治41年に県道に編入)  浜北市史通史下巻抜粋2章  536  
- - 西遠軌道開通 宮口と貴布祢を結ぶ鉄道“西遠軌道開通”が開通 浜北市史資料編近現代  720  
1925 14 - - 赤佐村の人口 赤佐村 708戸 3,911人(男 1,922人 女 1,989人)農家は432軒(61.0%) 浜北市史通史下巻  674  
1926 15 7 1 青年訓練所 補修学校へ併設して、20才未満の青年に軍事教練を教えた 赤佐小学校百年の歩み 34   
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