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3.明治時代 現在資料収集中です。
新データーは随時、追記します。
    
(右端に追記日を記入)
西暦    内 容  内  訳 記 載 の 著 書  記載頁 追記日 
1868 - - 尾野村
東尾野村、西尾野村 
1868年(明治元年)から1889年(明治22年)までの村名。尾野村、於呂
村、根堅村となる。東尾野村、西尾野村-井伊谷 近藤領 。明治初年に
戸数が増えた為に、東
と西尾野村に分けたという説もあるが、この以前
にも使われた記録が残っている。
日本地名大辞典No22浜北市史資料編近現代
浜名郡赤佐村誌
260
97
260
 
 
1869 2  1 西ノ谷東ノ谷水神領  東西水神領田畑各2反歩、岩本権現畑5畝歩、神主屋敷坪畑1反5畝歩。  小野家文書  48 2018.4.29 
1871 4 11 - 廃藩置県で浜松県に 明治12年4月までは豊田郡大小区に属す。。浜松県に所属  浜北市史資料編近現代  98  
1872 5 1 - 82区制  尾野は49区に所属  みどりときめく人間都市 11   
5 - - 尾野村初代戸長 尾野村戸長 町田儀平(従来の庄屋を廃して戸長となる、町田啓次郎氏の先々代) 浜名郡赤佐村誌    
7 - 温故塾を開く 尾野村で代々庄屋を務めた家の竹内藤蔵家の一隅を塾舎に。先生-竹内正俊  赤佐小学校百年の歩み 7   
- - 小野街道とは  昔は小野開土と表記したが、当年の地券発行時に誤って小野街道と記載した為。  小野家文書(族籍復帰願)  65 2018.4.29 
1873 6 2 - 大小区
(大小区戸長時代)
 
尾野は第1大区29小区になる
明治8年11月まで=岩水村、雲岩寺村、柴本村、安泰寺、
       御馬ヶ池村、蟹沢村、東尾野村、西尾野村
浜北市史通史下巻
浜北市史資料編近現代
89
89, 97
 
4 5 戸長 尾野村 藤本長四郎、伊藤八三郎 浜北市史通史下巻 93   
5 - 人口  尾野村 124戸 540人  浜北市史通史下巻  91   
8 - 人口  尾野村 124戸 543人  町田家文書・諸用留   2017.1.12 
9 - 赤佐小学校の始まり
(温故塾の廃止)
当月より尾野、柴本、岩水、上島、中瀬、豊保の6ヶ村が連合して小学校を
柴本村の慈眼寺に柴本学校を設けた。これが赤佐小学校の始めです。
と同時に尾野村の温故塾は廃止となる。 
赤佐小学校百年の歩み 11  
3 22 神仏分離  神仏分離により、高根神社から観音像二体下山する 金刀比羅神社沿革誌 23  
1875 8 5 尾野学校設立 中瀬村と尾野村が分離し、柴本学校は於呂学校となる  赤佐小学校百年の歩み  13   
9 7 金刀比羅神社建築  現在の拝殿の奥に渡り殿、本殿を造営し、讃岐の金刀比羅宮より大物主命・
 白峯大神を迎え、金山毘古命を併せて祭る。
金刀比羅神社沿革誌 8  
12 - 東西尾野村合併 尾野村(東尾野村と西尾野村が合併)、於呂村、根堅村となる。(明治22年まで)  浜北市史資料編近現代  97   
- - 尺地神社合祀  篁屋敷の西方に尺地神社があったが、8年頃金刀比羅神社に合祀された。  小野家文書(族籍復帰願)  64 2018.4.29
- - 篁の小宮の祠2ヵ所  五メ地に篁の門跡として小宮の祠が2ヵ所あったが、明治8年頃廃跡地となる。  小野家文書(族籍復帰願)  64 2018.4.29
1876 9 8 21 静岡県時代始まる 浜松県から静岡県に併合される  みどりときめく人間都市  11   
9 - 社務所建築 嘉永5年に建築された拝殿を西方に移動し、増築。平成23年6月再建の為取り壊す 社務所棟札より - 2011.7.20
1877 10 1 1 尾野村戸数人口 尾野村戸数138戸、男323人、女319人、合計642人,氏神は全戸金刀比羅神社
檀家は養徳寺40戸、宝泉寺65戸、清玄寺23戸1戸
尾野区所有資料     
- - 金刀比羅神社句碑 金刀比羅神社の句碑建立  浜北市史通史下巻 452   
  7 - 竹内正俊校長就任  尾野学校の校長に迎える 赤佐小学校百年の歩み 13   
1878 11 1 - 鎮火祭厚徳社創立 社長に竹内逸蔵・町田八蔵の両氏が就任 金刀比羅神社沿革誌  9  
9 28 大宝寺観音堂祭る 観音堂を他所より移築し、聖、馬頭、蚕影の三観世音を祭る  大宝寺落慶記念誌     
- - 句碑の建立 有賀豊秋・村尾留器らにより金刀比羅神社境内に句碑の建立  尾野の歴史神社ものがたり 132  
1879 12 3 - 豊田郡尾野村に 区制が廃止され、郡制が施行され遠江は12郡となる  赤佐小学校百年の歩み 2  
1880 13 3 - 常夜灯の建立 金刀比羅神社の境内に厚徳社有志の寄付により常夜灯を建立 金刀比羅神社沿革誌  9  
    高根山大宝寺に 大沢山大宝寺を高根山大宝寺と改める。 町田家文書    2018.10.20 
1881 14 11 10 寄せ宮の建築 金刀比羅神社内、多賀神社の西側に建築。(平成18年に新たに建替えた。) 金刀比羅神社沿革誌  13   
  六所神社御神札  奉造 六所神社本殿一宇・・・とある 尾野の歴史神社ものがたり 65  
1882 15 4 - 宮口銀行設立  宮口に銀行を設立  浜北市史通史下巻  569   
1884 17 9 - 西三十三所霊場  遠江天竜川西三十三所の中に18番尾野 高根山 大宝寺があてられる
世話人 西尾野村 大宝寺 油屋 藤蔵、東尾野村 善(養?)徳寺 平左衛門  
浜北市史通史上巻 1311   
1886 19 4 - 尾野学校合併
義務教育始まる
於呂学校と合併して於呂尋常小学校となる。尋常が4年、高等が4年の4・4
制尋常科は義務制とある尾野学校は分校となり尋常科1,2年の課程
赤佐小学校百年の歩み 17   
1887 20 9 25 於呂尋常小学校新築
尾野分校構築
慈眼寺の仮校舎を廃止、現在地の赤佐小学校の場所に新築。
尾野村養徳寺に分校を構築する。
赤佐小学校百年の歩み  17,18  
1888 21 8 22 溜池の申合規約書  西ノ谷及東ノ谷両溜池用水に関する尾野村人民一同申合規約書を作製 尾野村人民一同申合規約書     
      地押調査事業 尾野地区の地押調査が行われ、調査資料が作成された。  尾野自治会資料   2014.12.7 
1889
22 3 1 赤佐村誕生
自治制時代
 
静岡県下に市町村制が施工され、根堅村、於呂村、尾野村が合併し、
豊田郡赤佐村となる。 明治憲法施行の年
赤佐小学校百年の歩み  21 
6 7 赤佐村村長 村長は岩渕義一氏(〜26年8月4日まで) 浜北市史通史下巻  257  
10 - 赤佐尋常小学校  於呂尋常小学校を赤佐尋常小学校と改名 赤佐小学校百年の歩み 21  
10 水屋の建築  金刀比羅神社に水屋及び社守居宅の建築 尾野の歴史神社ものがたり  26  
1890 23 - - 赤佐村の人口 赤佐村 2,315人 於呂区有資料 307  
4 25 大宝寺に1,500人 養蚕家は毎年大宝寺で祈願していたが、本年は特に気候の不順にして、
祈願を願う者、広瀬村、竜池村、野部村、中瀬村他諸村より無慮1,500 名
浜北市史資料編近現代  224   
1891 24 - - 尾野の人口  尾野 131戸 700人(男347人 女353人)厩 12 寺院4 浜北市史下巻第2章  225  
- - 赤佐の人口 赤佐村 戸数508 人口2,360人(男1,176人 女1,184人)  厩40  浜北市史通史下巻抜粋2集  255  
 4 26 養徳寺上棟  養徳寺の本堂が建築されたが、平成21年末に老朽化のため撤去された。  養徳寺の棟札より  - 2010.4.14 
6 15 尾野、宮口水利組合  西ノ谷池の水利、修繕その他の協議規定の為、設立 浜名郡赤佐村誌第7章    
10 28 濃尾大地震  午前6時30分激烈な地震、約3分で終わったが終日微動が数十回に及んだ 浜北市史資料編近現代  708   
- 赤佐村の人口 赤佐村 522戸 2,419人 (戸数、人口不明ナリ) 浜名郡赤佐村誌第2章    
1892 25 4 - 神社境内全図  金刀比羅神社の境内全図に同年月入りの図がある  浜北市史通史下巻 506   
1893 26 6 24 大干ばつ 6/24〜8/15まで大干ばつ、日数50余日続く  浜北市史資料編近現代 711  
9  9 赤佐村村長  村長は大高徳太郎氏(〜31年7月19日まで)  浜北市史通史下巻  257   
- - 尾野区で水騒動 干害で尾野区南北に分かれて水争議、法廷で白黒を争う  赤佐小学校百年の歩み年表  143  
27 6 27 後の分校の地価  尾野字小野海道2066番 畑6畝15分(元尾野村郷蔵跡で尾野学校所有の地)
地価6円86銭 
赤佐小学校百年の歩み  23  
1894 27 - - 赤佐村の人口  赤佐村 2,463人 於呂区有資料 307   
1896 29 9 - 浜名郡赤佐村に 豊田郡から浜名郡赤佐村となる 赤佐小学校百年の歩み  3  
1898 31 8 3 赤佐村村長  村長は池谷幸太郎氏(〜35年5月20日まで) 浜北市史通史下巻 257   
- - 俳額奉納  祓殿の左上の俳額を井熊東水氏や松島十湖氏が奉納  尾野の歴史神社ものがたり  44   
1899 32 9 - 社務所増築  金刀比羅神社の社務所を増築 金刀比羅神社沿革誌  3  
- -  二俣西街道開通 二俣西街道(現在の国道152号線)は30年に着工し、32年開通       
1900 33 - - 消防ポンプ配置 赤佐村は尾野,根堅、於呂各地に腕用ポンプ一台を配置。
私設根堅消防組設置(17才より40才までの男子)
浜北市史通史下巻  1100  
8 - 小学校令大改正  尋常小学校では授業料を徴収しないことになる。義務教育4年生となる 赤佐小学校百年の歩み  27   
1901  34 - - 赤佐村の人口 赤佐村 2,572人 於呂区有資料 307  
  10 - 気賀二俣往還実測 未だ開通しておらず、気賀より都田までは既に工事が出来、開通も近い
 (現在の国道362号線)
浜北市史資料編近現代  284   
赤佐村の人口 赤佐村 520戸 2,438人  浜名郡赤佐村誌第2章    
1902 35 4 1 高等小学校の許可  尋常科(修業年限4ヵ年)と高等科(修業年限2ヵ年)が設置され
赤佐尋常高等小学校と改名。尾野分教場は尋常科2年まで。 
赤佐小学校百年の歩み 28   
6 21 赤佐村村長 村長は池本博氏(〜39年6月20日まで)  浜北市史通史下巻 257   
7 24 尾野若連の存在  この日から記帳された若連の帳票が現存する 尾野若連共有金綴り    
9 30 二の鳥居を石材に 高根公会堂横にあった二の鳥居を登山口に移し木造を石材に改造 金刀比羅神社沿革誌  15   
10 1 三の鳥居を石材に  金刀比羅神社の三の鳥居(拝殿前)も木造を石材に改造  金刀比羅神社沿革誌  15   
1905 38 - - 赤佐村の人口  赤佐村 2,873人 於呂区有資料  307   
 2   馬頭観音安置  金刀比羅神社の裏側付近を、第二東名建設に伴う史跡発掘調査時に発見された
石仏で、当時、その付近で草競馬が行われていたものと推測される。現在は
大宝寺の万霊塔北側に安置されている。
 
馬頭観音の刻印   -  
11 12 尾野株式会社 金銭出納長によるとこの日以降取引が行われている  赤佐村尾野若者共有金帳簿より   
1906 39 6 27 赤佐村村長  村長は太田銀次郎氏(〜40年11月18日まで) 浜北市史通史下巻 257   
1907 40 1 - 赤佐株式会社  設立 資本金3万円 於呂にあり、赤佐村唯一の金融機関  浜名郡赤佐村誌第7章     
12 13 赤佐村村長 村長は竹内源七氏(〜43年2月2日まで) 浜北市史通史下巻 577   
1908 41 4 1 義務教育6年 学校令改正で尋常科の修行年限6ヵ年となり、赤佐尋常小学校に再度
改名。尾野分教場は従来通り2ヵ年 
赤佐小学校百年の歩み  30  
1909 42 3 2 赤佐青年会発足  浜名郡赤佐村の同会は小学校内で発会式を行う 浜北市史通史下巻 377  
10 10 祭式に奏楽  この年から祭式に奏楽を加えた 金刀比羅神社沿革誌 17  
13 赤佐村青年夜学会 尋常科卒業程度の年齢の青年より30才前後の者までを会員。尾野に支部 浜北市史資料編近現代  375   
1910 43 3 8 赤佐村村長 村長は竹内芳太郎氏(〜大正7年3月-日まで)  浜北市史通史下巻  577   
  - - 赤佐村の人口 赤佐村 3,230人  於呂区有資料  307   
3 - 一の鳥居を石材に  一の鳥居(高根野中商店横・・現在は坂下に移設)木造を石材に改造。 金刀比羅神社沿革誌  15   
1911 44 1 - 電信業務開始  尾野は宮口郵便局が兼務した。 浜北市史通史下巻  718   
- 赤佐村の人口  赤佐村 585戸 3,243人  浜名郡赤佐村誌第2章    
1912 45 4 - 尾野分校移転 分校を養徳寺から尾野2066番地へ(現在公民館のある位置) 赤佐小学校百年の歩み  30  
        西の谷1番池  1番池(通称 奥池 現在は森林公園の中)は 明治になってから築造(年数不明) 赤佐小学校百年の歩み  117   
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